なら燈花会2
今回もなら燈花会の写真を一枚だけお届けします
写真は昨年2006年のものです
(クリックで拡大できます)
・浮雲園地
背景に見える若草山の斜面にも灯がある
撮影:2006年8月7日 / CONTAX G1 ビオゴンT*28mmF2.8
写真は昨年2006年のものです
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・浮雲園地
背景に見える若草山の斜面にも灯がある
撮影:2006年8月7日 / CONTAX G1 ビオゴンT*28mmF2.8
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- [2007/07/21 10:13]
- 奈良歳時記 |
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なら燈花会
奈良の夏の風物詩としてすっかり定着した感のある「なら燈花会(とうかえ)」
年々訪れる人も増え、スケールもアップしてきてますね
今年は1日早く「咲かせる」ようで、8月5日(日)~14日(火)までの毎夜行なわれます
詳しくは燈花会公式ウェブサイトをご覧ください
NPO なら燈花会
当ブログでも、「奈良歳時記」カテゴリーで昨年8月に写真をUPしています
今回は、昨年撮ってまだ載せていなかった写真をUPします
いつもどおり、写真はクリックで拡大できます
・興福寺会場/東金堂東側
撮影:2006年8月7日 / CONTAX G1 ビオゴンT*28mmF2.8
年々訪れる人も増え、スケールもアップしてきてますね
今年は1日早く「咲かせる」ようで、8月5日(日)~14日(火)までの毎夜行なわれます
詳しくは燈花会公式ウェブサイトをご覧ください
NPO なら燈花会
当ブログでも、「奈良歳時記」カテゴリーで昨年8月に写真をUPしています
今回は、昨年撮ってまだ載せていなかった写真をUPします
いつもどおり、写真はクリックで拡大できます
・興福寺会場/東金堂東側
撮影:2006年8月7日 / CONTAX G1 ビオゴンT*28mmF2.8
- [2007/07/14 09:45]
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鉢伏峠
先日ご紹介した白毫寺からやや南の方へ行くと、鹿野園町という所があります。鹿野園は「ろくやおん」と読みますが、土地の人は「ろっきゃお」と読むようです。すぐ東側には山が迫り、台地状になった高台の場所で、奈良盆地(大和平野)が見晴らせる場所です。
地名は、かつてインドから渡来した僧が持ち込んだものとされます。奈良市には、このような仏教にちなんだ地名が他にもあって、この「鹿野園」以外に、「大慈山(だいじせん)」「忍辱山(にんにくせん)」「誓多林(せたりん)」「菩提山(ぼだいせん)」といった町名があります。いずれも奈良市街地と東部山間地(柳生・矢田原など)の間あたりに存在します。
東部山間地と奈良盆地は昔より相互に往来が行なわれてきました。現在「大和高原」と呼ばれる一帯は、昔は「東山中(ひがしさんちゅう」と言い、一方、東山中から奈良盆地を言う時は「国中(くんなか)」と言ったそうです。大和高原地域は標高が高く、夏は涼しく冬は寒いところです。水田や畑も多いですが、特にお茶の栽培でよく知られているところです
その東部山間地域へ奈良市街地から向かうには、現在ならば、柳生方面へは奈良坂で木津への道と分岐して国道369号を東へ、田原・水間(みま)方面へは奈良教育大の少し南を東へ折れて主要地方道奈良名張線を行くのが一般的です。どちらの道路もよく整備され、交通量が比較的多い道路です。「田原の里」の方は、映画『殯の森』(河瀬直美監督)の舞台となっている所ですね。
このうち、田原・水間方面へ向かう道路ですが、実はその一つ南側に旧道があって、ひと昔かふた昔前まで人々はそちらの道を利用していました。これは「鉢伏峠(はちぶせとうげ)」を越える道なのですが、現在も道はあって舗装もされており、少ないですが車も走っています。
この道はかつて、山間部の人たちが農産物を奈良の町に運び、町から日用品を買って帰る唯一の道として利用されたそうです。また町と山間部とで牛の交互利用が行なわれていたそうで、人だけでなく牛も行き交ったとされています。道は伊勢街道(脇街道・近道)としても利用され、大阪や奈良の人が利用したようです。現在面影として残っているものと言えば、鹿野園にある石燈籠くらいでしょうが、かつては宿屋や茶店もあったらしく、賑やかであったことでしょう。それではそんな旧道と田原地区の写真を、田原側から奈良市街地へ向かう形で紹介します。写真はいつものようにクリックで拡大できます。
※参考文献
『奈良市史地理編』/吉川弘文館・昭和45年
『奈良点描』/長田光男編・清文堂出版・昭和58年
・矢田原町の田園風景
・かつて酒造会社であった建物、あじさいが咲いていた
・春日宮天皇田原西陵
・奈良県ヘリポートへの入り口からすぐの所にある旧道への分岐
「東大寺二月堂お水取り松明調達の道」なる標示がある
・県南部吉野方面の道のよう
・不法投棄を監視するセンサー
何もしていないのに、通るだけでセンサーが反応、女性の声で「注意」されてしまう
・サインの方向は山道、歩いて正暦寺に行ける?
・結構な勾配の場所にある茶畑
霜防止のため空気を攪拌する扇風機がいっぱい
・かやぶき屋根の家
・鹿野園町の集落が見えてきた
・さらに下ると奈良県護国神社、近くには奈良佐保短期大学がある
☆ルート地図
(マウス左クリック状態で地図移動可、画面左側バーで縮尺調整できます)
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地名は、かつてインドから渡来した僧が持ち込んだものとされます。奈良市には、このような仏教にちなんだ地名が他にもあって、この「鹿野園」以外に、「大慈山(だいじせん)」「忍辱山(にんにくせん)」「誓多林(せたりん)」「菩提山(ぼだいせん)」といった町名があります。いずれも奈良市街地と東部山間地(柳生・矢田原など)の間あたりに存在します。
東部山間地と奈良盆地は昔より相互に往来が行なわれてきました。現在「大和高原」と呼ばれる一帯は、昔は「東山中(ひがしさんちゅう」と言い、一方、東山中から奈良盆地を言う時は「国中(くんなか)」と言ったそうです。大和高原地域は標高が高く、夏は涼しく冬は寒いところです。水田や畑も多いですが、特にお茶の栽培でよく知られているところです
その東部山間地域へ奈良市街地から向かうには、現在ならば、柳生方面へは奈良坂で木津への道と分岐して国道369号を東へ、田原・水間(みま)方面へは奈良教育大の少し南を東へ折れて主要地方道奈良名張線を行くのが一般的です。どちらの道路もよく整備され、交通量が比較的多い道路です。「田原の里」の方は、映画『殯の森』(河瀬直美監督)の舞台となっている所ですね。
このうち、田原・水間方面へ向かう道路ですが、実はその一つ南側に旧道があって、ひと昔かふた昔前まで人々はそちらの道を利用していました。これは「鉢伏峠(はちぶせとうげ)」を越える道なのですが、現在も道はあって舗装もされており、少ないですが車も走っています。
この道はかつて、山間部の人たちが農産物を奈良の町に運び、町から日用品を買って帰る唯一の道として利用されたそうです。また町と山間部とで牛の交互利用が行なわれていたそうで、人だけでなく牛も行き交ったとされています。道は伊勢街道(脇街道・近道)としても利用され、大阪や奈良の人が利用したようです。現在面影として残っているものと言えば、鹿野園にある石燈籠くらいでしょうが、かつては宿屋や茶店もあったらしく、賑やかであったことでしょう。それではそんな旧道と田原地区の写真を、田原側から奈良市街地へ向かう形で紹介します。写真はいつものようにクリックで拡大できます。
※参考文献
『奈良市史地理編』/吉川弘文館・昭和45年
『奈良点描』/長田光男編・清文堂出版・昭和58年
・矢田原町の田園風景
・かつて酒造会社であった建物、あじさいが咲いていた
・春日宮天皇田原西陵
・奈良県ヘリポートへの入り口からすぐの所にある旧道への分岐
「東大寺二月堂お水取り松明調達の道」なる標示がある
・県南部吉野方面の道のよう
・不法投棄を監視するセンサー
何もしていないのに、通るだけでセンサーが反応、女性の声で「注意」されてしまう
・サインの方向は山道、歩いて正暦寺に行ける?
・結構な勾配の場所にある茶畑
霜防止のため空気を攪拌する扇風機がいっぱい
・かやぶき屋根の家
・鹿野園町の集落が見えてきた
・さらに下ると奈良県護国神社、近くには奈良佐保短期大学がある
☆ルート地図
(マウス左クリック状態で地図移動可、画面左側バーで縮尺調整できます)
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- [2007/07/03 11:27]
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